これまたびっくりしました。YOMIURI ONLINEの「米大統領選 おざなりにされる政策論争(4月24日付・読売社説)」です。曰く
指名に必要な代議員の争奪戦が過熱するに連れ、政策論争はほとんど棚上げされ、中傷合戦がエスカレートしている。
また
民主党に物足りないのは、外交・安全保障政策で十分な説明がないことだ。指名争いが終われば、共和党との本格的な政策論争が待っている。
つまり「民主党の両候補は中傷合戦ばかりで政策論争などろくすっぽやっていない」という趣旨のようです。が、それであれば見出しの「おざなり」は本来「なおざり」であるべきなのではないでしょうか。
検索してみたところ、goo辞書には
おざなり | その場逃れにいいかげんな言動をする・こと(さま)。 |
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なおざり | (1)真剣でないこと。いいかげんにして、放っておくこと。また、そのさま。 ((2)は省略) |
とあります。
もしオバマ対クリントンの政策論争が「おざなり」なのだとしたら、仮にそれが実は単なるポーズとか時間かせぎとか何かのカムフラージュにすぎないものであったとしたにせよ、まがりなりにも政策論争が現におこなわれていることになってしまいます。
また、そうした「おざなり」な営為、外面をとりつくろうような作業が、その執務のほとんどを占めているような政治家というのも、決して少なくはないでしょう。
が、この社説によれば、今のところ両候補は中傷合戦に専念しているようです。ということは、そこには真剣な政策論争もないのでしょうが、その代わり「おざなり」な政策論争といったものもありえません。
中傷合戦にかまけて政策論争がおこなわれていない、このことを指すには「政策論争がなおざりにされている」というのが正しいはずです。いざ中傷合戦に決着がつき政策論争が始まったとき、ではその論争が真剣なものになるのか「おざなり」にすぎないものになるのか、それはまた別の次元の問題でしょう。