2008年7月29日火曜日

多少問題

asahi.com「「爆笑問題・太田さんを殺害」書き込み容疑で逮捕」に

杉並署などの調べでは、小沢容疑者は7月8日午後1時ごろ、自宅のノートパソコンを使い、インターネット掲示板「2ちゃんねる」で、タレントで爆笑問題の太田光さん(43)を名指しし、「包丁で刺し殺します。これは犯行予告だ」などと書き込んだ疑い。

とありますが、「タレントで爆笑問題の」というのはちょっと変じゃないですかね。

こういうのってふつう「歌手で女優の○○さん」とか「衆議院議員で軍事評論家の△△さん」とか、多少逸脱するにしても「無職で自称グラビアアイドルの××容疑者」とか、いずれにしても肩書き乃至それらしきものを併記するときの書き方だと思うんですけど。

いくらなんでも「爆笑問題」が肩書きではないでしょうし、自称「爆笑問題」なわけでもないでしょう。

また、これではまるで「爆笑問題≒太田光」であるかのようでもあり、相方の田中さんがあまりにもかわいそうです。(とか言いつつ田中さんのフルネームがわからなくてすいません)

書くのであれば「タレントでお笑いコンビ「爆笑問題」メンバーの太田光さん」ではないでしょうか。もっとも「お笑いコンビのメンバー」と書けば「タレント」であることはほぼ間違いないので、むしろ「タレントで」というのは必要なさそうですが。

2008年7月21日月曜日

どうせなら裁判官もカツラを

東京新聞(TOKYO Web)に「被告は弁護人の隣に ネクタイ着用もOK あす模擬裁判」という記事がありました。裁判員制度の導入を控え、

これまで被告は弁護人の前に刑務官らに挟まれて座らされ、拘置中は自殺や逃走防止を理由にジャージーにサンダルが一般的だが、裁判員に被告が有罪に違いないとの予断や悪印象を与えないよう改善する。

などの措置が試行されるとのことです。有識者からの

「(拘置中の)被告はジャージーを着て、みじめな形で裁かれている。法廷が人権と深くかかわっているとするならおかしい」

といった意見に後押しされて始まる措置のようです。

これはこれで正論だとは思います。ただ、

服装については、首を絞められない取り付け式のネクタイや、かかと部分はないものの、前から見ると革靴に見えるサンダルなら着用を認めることとし、それぞれ拘置所で希望する被告に貸し出す方針という。

これはどうなんでしょう。そんなイミテーションを着用して人前に出るというのも、それはそれでみじめなのではないでしょうか。

拘置中の被告に人権を認めるのであれば、自殺する権利だって認めてかまわないのではないかと思うのですが。

2008年7月19日土曜日

おしぼり貸します

asahi.comの記事「不動産開発のゼファー民事再生 負債949億円」に同社社長の記者会見内容の一部として

サブプライム問題を受けて金融機関が1月から不動産への融資を絞り出したとの認識を示し、

と書かれています。

金融機関が融資を絞り出した。ちょっとわけがわかりません。

強引に解釈しようとすれば「経済情勢としては不動産事業に資金を貸し出すメリットは薄れつつあるが、長年つきあってきた銀行側の担当者が上司を説得するなどして融資案件として成立させ、どうにかこうにか資金を捻出してきてくれた」とでもなるのでしょうか、まったく逆の意味になってしまいます。

そうではなく「融資の審査や選別が厳しくなった」という意味であり、それでも敢えて「絞り」という語を使うのにこだわるのであれば、ここは「絞り込み出した」とするのが正しいでしょう。

まさか当事者の社長がこんな言いまちがいをしたとは考えられないので報道側の書きまちがいでしょうけど、もはや1990年代によく使われた「貸し渋り」という言葉を知らない世代なんでしょうかね。

どっち向いて補遺

YOMIURI ONLINEの記事「芥川の遺志はどっち?遺書と全集収録の文面に相違あり」によれば

芥川龍之介が最期の推敲(すいこう)をした遺書の存在が明らかになったが、その遺書と岩波書店版全集に収録された文面の一部が違っていることが18日、新たに分かった

のだそうです。

本来同じであるべきことが期待される文面1と文面2との間に相違があった。これはわかりました。

が、記事の見出しが「芥川の遺志はどっち」だったのかという問いかけの形である以上、文面1と文面2とは、その相違点において二律背反の関係になくてはならないはずです。

つまり、文面1からは「AはBである」「CはDすべし」等と読みとれるのに対して、文面2からは「AはBではない」「CはDすべからず」等と読みとれる、そのことが18日になって新たにわかったのでなければいけません。

しかし、それがどこに該当するのか、記事の文面からは正直言ってわかりませんでした。

見出しと本文に相違があるというのも考えものです。単に「芥川の直筆遺書と全集収録の文面に相違あり」という見出しでよかったのではないでしょうか。

2008年7月13日日曜日

翻訳家だからってすべてのニュアンスを訳しきれるというわけじゃないんです

山口雅也=編『山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー』(角川文庫)所収のアーサー・ポージス「イギリス寒村の謎」(風見潤=訳)。

連続殺人事件の発生した小さな村について、警部は素人探偵に向かって以下のように説明します。

人口は全部で十四人。いや、いまは十五人です。ウィロウ夫人という御婦人が三週間前に引っ越してきましたからね。誰だって村の人口を七パーセント以上増加させることができるというわけじゃないんです

最後の訳はまるでわけがわかりません。

原文は見てないので推測の域を出ませんが、直前までのセリフから考えて「14人から15人に増えたことによって、これ以降もはや誰も村の人口を7パーセント以上増やすことはできなくなった」という意味なんじゃないですかね。

(念のため書いとくと15人目のウィロウ夫人の転入で村の人口は 1÷14×100=7.14% の増加、でもその次に誰か越してくる人がいたとしてもそれによる人口増は 1÷15×100=6.67% にしかならない)

14人が15人に増えたところで、ちっぽけな村であることに変わりはない。でもそこに7%という境目を設けてみると、あたかも劇的な変化であったかのように言いあらわすことができる。そういうユーモアを意図したレトリックだと思うんですけど。

2008年7月12日土曜日

テレビなんとか

東京新聞(TOKYO Web)に「深夜の“優等生”ゴールデンでは苦戦 『くだらない』は無意味!?」という記事があり、テレビ朝日の「くりぃむナントカ」という番組について書かれています。(ちなみに「ナントカ」まで含めて正式な番組名らしいです)

記事自体はけっこう面白いのですが、以下の部分がよくわかりません。

十六日の放送では、深夜時代の人気企画「ナンバー2選手権」が復活するが、これも「芸能界は出るくいは打たれるからナンバー2を目指す」という趣旨のもと、値段や人気の二位を当てる“後ろ向き”なゲーム。

芸能界でのNo.2をめざす芸能人であれば他の業界のNo.2も当てやすいのか。あるいは他の業界のNo.2を当てることに対して意欲を燃やしやすいのか。

まぁ「ナンバー2」云々は単なるこじつけでしょうし、そのこじつけ自体もまた笑いの要素なんだろうとは思うんですけど、なまじ「という趣旨のもと、」なんていう言い回しで文章が流してあると、ついつい論理的なつながりがあるのかないのか、突っ込んでみたくなるんですよね。

そもそも出る杭は打たれるからNo.2に甘んじてる芸能人と、がんばってるんだけど力及ばずNo.1に届いてない他の業界のNo.2とでは、No.2である理由、No.2になった経緯からして全然ちがうんじゃないのか。

そういう他人の努力を自分たちの基準(出る杭は云々)に引き寄せ矮小化して解釈してみせる、そのへんの強引ぶりとか独断ぶりがこの企画のツボなんでしょうかね。見たことないからわかんないですけど。

最悪の解説

文庫解説といえば山田風太郎『甲賀忍法帖』(講談社文庫)の浅田次郎によるものは最悪です。

それによれば山田風太郎の忍法帖シリーズは読者の立場にたって書かれている。作家ではなく一読者として読みたいと思うものを書いたものである。これはまあいいでしょう。

が、その根拠として以下の2点が挙げられています。

  1. たとえば相対峙した二人の忍者の間の距離をあらわすのに「何尺何寸」とかではなく、時代小説であるにもかかわらず「何メートル」と書かれている
  2. ふつうなら漢字で書くところを平仮名で表記してある箇所が多い

これをもって「読者の立場にたって書かれている」とか「若い世代の読者も読めるように書かれている」などとしているのです。なんかもう、読者を馬鹿にしているとしか考えられません。

これとは別に日下三蔵氏による「忍法帖雑学講座」というコラムも収録されていて、こちらのほうは比較にならないほどまともな内容です。作家の解説文なんて要らない、こっちだけあれば十分じゃんと思ってしまいます。