2008年8月30日土曜日

釣り穴

asahi.com「ジュリアナ、来月一夜限り復活 40代ママお立ち台へ」の2ページ目。

ジュリアナ東京 大手商社の日商岩井(当時)と英企業が共同出資して91年5月、東京・芝浦に誕生した大型ディスコ。日商岩井の社員だった大手人材会社グッドウィル・グループの折口雅博・元会長が仕掛け人として知られる。
最盛期には1日3千人が来店したが、ファッションの露出が目立ち始め、社会問題化。店側は服装を規制し、93年12月にお立ち台を撤去。客足が遠のき、94年8月に閉店した。

そもそも何かを目立たせることを露出というのに露出が目立ってどうすんだ。というのはまぁいいとして、この「ファッションの露出」というのがよくわかりません。

ファッションって、どちらかというと抽象名詞なんじゃないですかね。服の着こなし方とか。そういう抽象的な概念にすぎないのに「露出」という行為の対象になりうるのか、というのが問題点のひとつ。

それからもうひとつは、抽象ではあるけれどもそのもとになっているのは「服装」とか「化粧」とかいずれも目に見えるもの、見せるためのものであり、それをまた「露出」するというのは冗長というか単なる同義反復ではないのか、という点。

結局「ファッションの露出」というのは「露出狂的なファッション」の、意図してなのかせずになのかはわかりませんが、書きまちがいあるいは言い換えなのだろうと思われます。

あえて解釈するなら「素肌(だと思いますが、ジュリアナなんて行ったことないのでわかりません。もしかしたらもっと具体的な部位なのかもしんない)をこれ見よがしに露出した服装の客が目立ち始め、社会問題化」といったあたりでしょうか。

実は日本もイスラム文化圏だったんですねw

2008年8月14日木曜日

記録、それはいつもはかない。

そもそもテレビを持ってないからというのもあるのですが、ことにテレビのスポーツ中継というのは見る気がしません。

どこがつまらないかというとアナウンサーや解説者が無暗矢鱈に「記録」だの「過去の対戦成績」だのを口にするところです。

YOMIURI ONLINEに「新たな怪物誕生、智弁和歌山・坂口が大会初1イニング2発」という記事がありました。曰く、

清原(オリックス)や松井秀(ヤンキース)、中田(日本ハム)ら大会史に残る強打者でも打ち立てられなかった記録。

だそうですが、記録の新奇性をもって「怪物誕生」と評してしまうのはどんなもんなんでしょう。

記事の構成からは、あたかも坂口選手の最初の本塁打が試合の流れを決定づけ、同じイニング内での自身の2本目の本塁打を導き出したかのような印象を受けます。曰く、

1点を追う八回無死一、二塁で迎えた4度目の打席。それまで無安打だったが、坂口には「ホームランが打てる」という予感があった。
駒大岩見沢のエース板木が投げた初球の直球。「ガギン」という音とともにバットから押し出されたライナー性の打球は、強力な加速を伴ってバックスクリーン左に突き刺さった。
打たれた板木は、坂口の衝撃的パワーにショックを隠せなかった。その後、野選や悪送球、死球と崩れていく。

しかし、それだけで同じイニング内に打者一巡させてしまうものでしょうか。

相手校のピッチングや守備が崩れたのには、坂口選手から浴びた1本目が1点リードからの逆点3ランだった、すなわちすでに2人の選手が出塁していたこと、また、その後も智弁和歌山の他の選手たちの好打があったこと、などの複合的な要因があったはずです。

坂口選手自身も

坂口は「たまたまです。本塁打にとらわれず、初心に戻って、次の試合も戦いたい」と淡々としていた。

と謙虚に捉えているとおり、彼自身の実力に負うのはあくまで「2打席連続ホームラン」という事象であり、それが偶然「同一イニング内」に発生したのはチーム全体の力によるものなのではないでしょうか。

それを、この記事は坂口選手の「怪物」性を際立たせるために「大会史上初の1イニング2発」とごっちゃにしてしまっているわけです。

そういうこじつけが、なんか嫌なんだよなぁと思うのです。

2008年8月11日月曜日

それって何?

YOMIURI ONLINE「日テレ報道番組、大食いタレントが食べた量を「かさ上げ」」に

日本テレビ系の報道番組「NEWSリアルタイム」で今年1月23日に放送された「大食い女王対決」企画で、女性タレントが食べた量を事実より多く伝えたとして、同局は11日、報道局長ら4人を厳重注意処分にした。

とありました。もうわけがわかりません。

これは報道番組なんですか。大食い企画という時点ですでにバラエティ番組じゃないんですか。

報道局長らが処分されたということは報道局の管轄下にある番組なのかもしれませんけど。報道局の番組なら報道番組なのかもしれませんけど。

しかしどうも納得がいかない。

この手の企画にヤラセがあるのは当然だと思うので、かさ上げ自体については別に何とも思いません。

また、大食い企画などというどうでもいいような企画を通しておきながらヤラセがあったから厳重注意処分というのも、なんとも首尾一貫しない迷走ぶりが目につくばかりで失笑するくらいしかできません。

問題はむしろ、報道番組の中で大食い企画が放映される、あるいはそんな企画のある番組を報道番組と呼んで疑問にも思わない、そこにこそあるのではないかと思うのですが。

2008年7月29日火曜日

多少問題

asahi.com「「爆笑問題・太田さんを殺害」書き込み容疑で逮捕」に

杉並署などの調べでは、小沢容疑者は7月8日午後1時ごろ、自宅のノートパソコンを使い、インターネット掲示板「2ちゃんねる」で、タレントで爆笑問題の太田光さん(43)を名指しし、「包丁で刺し殺します。これは犯行予告だ」などと書き込んだ疑い。

とありますが、「タレントで爆笑問題の」というのはちょっと変じゃないですかね。

こういうのってふつう「歌手で女優の○○さん」とか「衆議院議員で軍事評論家の△△さん」とか、多少逸脱するにしても「無職で自称グラビアアイドルの××容疑者」とか、いずれにしても肩書き乃至それらしきものを併記するときの書き方だと思うんですけど。

いくらなんでも「爆笑問題」が肩書きではないでしょうし、自称「爆笑問題」なわけでもないでしょう。

また、これではまるで「爆笑問題≒太田光」であるかのようでもあり、相方の田中さんがあまりにもかわいそうです。(とか言いつつ田中さんのフルネームがわからなくてすいません)

書くのであれば「タレントでお笑いコンビ「爆笑問題」メンバーの太田光さん」ではないでしょうか。もっとも「お笑いコンビのメンバー」と書けば「タレント」であることはほぼ間違いないので、むしろ「タレントで」というのは必要なさそうですが。

2008年7月21日月曜日

どうせなら裁判官もカツラを

東京新聞(TOKYO Web)に「被告は弁護人の隣に ネクタイ着用もOK あす模擬裁判」という記事がありました。裁判員制度の導入を控え、

これまで被告は弁護人の前に刑務官らに挟まれて座らされ、拘置中は自殺や逃走防止を理由にジャージーにサンダルが一般的だが、裁判員に被告が有罪に違いないとの予断や悪印象を与えないよう改善する。

などの措置が試行されるとのことです。有識者からの

「(拘置中の)被告はジャージーを着て、みじめな形で裁かれている。法廷が人権と深くかかわっているとするならおかしい」

といった意見に後押しされて始まる措置のようです。

これはこれで正論だとは思います。ただ、

服装については、首を絞められない取り付け式のネクタイや、かかと部分はないものの、前から見ると革靴に見えるサンダルなら着用を認めることとし、それぞれ拘置所で希望する被告に貸し出す方針という。

これはどうなんでしょう。そんなイミテーションを着用して人前に出るというのも、それはそれでみじめなのではないでしょうか。

拘置中の被告に人権を認めるのであれば、自殺する権利だって認めてかまわないのではないかと思うのですが。

2008年7月19日土曜日

おしぼり貸します

asahi.comの記事「不動産開発のゼファー民事再生 負債949億円」に同社社長の記者会見内容の一部として

サブプライム問題を受けて金融機関が1月から不動産への融資を絞り出したとの認識を示し、

と書かれています。

金融機関が融資を絞り出した。ちょっとわけがわかりません。

強引に解釈しようとすれば「経済情勢としては不動産事業に資金を貸し出すメリットは薄れつつあるが、長年つきあってきた銀行側の担当者が上司を説得するなどして融資案件として成立させ、どうにかこうにか資金を捻出してきてくれた」とでもなるのでしょうか、まったく逆の意味になってしまいます。

そうではなく「融資の審査や選別が厳しくなった」という意味であり、それでも敢えて「絞り」という語を使うのにこだわるのであれば、ここは「絞り込み出した」とするのが正しいでしょう。

まさか当事者の社長がこんな言いまちがいをしたとは考えられないので報道側の書きまちがいでしょうけど、もはや1990年代によく使われた「貸し渋り」という言葉を知らない世代なんでしょうかね。

どっち向いて補遺

YOMIURI ONLINEの記事「芥川の遺志はどっち?遺書と全集収録の文面に相違あり」によれば

芥川龍之介が最期の推敲(すいこう)をした遺書の存在が明らかになったが、その遺書と岩波書店版全集に収録された文面の一部が違っていることが18日、新たに分かった

のだそうです。

本来同じであるべきことが期待される文面1と文面2との間に相違があった。これはわかりました。

が、記事の見出しが「芥川の遺志はどっち」だったのかという問いかけの形である以上、文面1と文面2とは、その相違点において二律背反の関係になくてはならないはずです。

つまり、文面1からは「AはBである」「CはDすべし」等と読みとれるのに対して、文面2からは「AはBではない」「CはDすべからず」等と読みとれる、そのことが18日になって新たにわかったのでなければいけません。

しかし、それがどこに該当するのか、記事の文面からは正直言ってわかりませんでした。

見出しと本文に相違があるというのも考えものです。単に「芥川の直筆遺書と全集収録の文面に相違あり」という見出しでよかったのではないでしょうか。